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天徳寺 (福井県若狭町)
天徳寺(てんとくじ)は、福井県三方上中郡若狭町にある高野山真言宗所属の寺である。山号は宝篋山。名水瓜割の滝を擁する。 == 起源 == 天徳寺縁起によれば、今からおよそ1300年前の養老年間、加賀・白山を開いた泰澄大師が当地宝篋ケ嶽に上り、馬頭観音像一躯を刻んで山腹の岩窟に安置し去ったことを以て寺の起こりとしている。縁起によれば、泰澄の開山から200年を経た天暦年間、この馬頭観音が岩上にあって七日七夜奇瑞を示現したため、元真僧都が急ぎ草堂に移した。観音の霊異は天聴に達し、時の村上天皇は宣旨を下して堂宇の建立に着手。天徳元年、七間四面の観音堂が成り、遅れて食堂、鐘楼、大門等が竣工し七堂伽藍を具備。次いで村上天皇より斎田二十町歩が寄進され、正治2年北条政子が源頼朝の菩提を祈る法華堂を建立寄進した等々と伝えている。爾来、本尊馬頭観音所在に約して山号を宝篋山とし、村上天皇治世の元号になぞらえて天徳寺と称すようになったという。 起源を、門前の湧き水の水神に対する強い信仰によるものとする説もある。すなわち、水源地である水の森に祀る水神(ここでは不動明王)に対する近郷の信仰は篤く、旱魃の際に近郷こぞって雨乞いの祈願をした記事がいくつかの史書に見えることからも水神信仰に起源をおいたことは明らかというものである(和歌森太郎編『若狭の民俗』)。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「天徳寺 (福井県若狭町)」の詳細全文を読む
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